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[C62]

ここで見える状態で会話させてもらっている私としては,詳しく聞かせてくれてありがたいと思います.
鹿児島の義父が亡くなったのはひとり住む部屋でのことで,それでも数時間後にヘルパーさんに発見されることになります.それまで,遠距離介護で毎日ヘルパーさんがのぞきにくるようにしていたし週に3回デイサービスの車がお迎えに来る.デイサービスに行けば食事や入浴などもできるけど,行った先にいるのはおばあさんが中心で,そこでやるようなお遊びやおつきあいは義父の望むことではなかったのです.で,お盆に行った際には,目に涙を浮かべて,行きたくないのですって言いました.ヘルパーさんも色々で,義父に話しかけない人もいたりする.そんな中に,ひとりでボランティアで動いている女性がいて,その方は根気よく話しにきてくれたりしました.その方には色々わがまま言ったり語り合えたので,良かったです.
自分に父がなく,義父との限られたわずかな交流しかないので,takakoさんとお父さんの間にある信頼関係にはうらやましい思いです.自分にはそういう自然な思いやりがないんじゃないかって,宇宙人みたいな気がしちゃうんですよ.
ところで,ブラッド・メルドーのThe Art Of The Trio, Vol. 1と3を買いました.美しいです.
  • 2012-07-08 21:13
  • chaka
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  • 編集

[C63]

あまりブログなどに適さない話題なのかなと思いながらも書きました。自分のブログですし。
父が倒れてから一年くらいは細かく記録をつけていましたが、それ以降はカレンダーのメモ書きくらいです。どこかにおおまかな顛末を記しておこうと思いました。
 
父とは子供の頃はとても仲良しで私にとって世界で一番優しい人でした。年頃になった頃は父も仕事が忙しかったし、私に距離を感じていたようだし、私も思春期で父をどこか避けるようになっていました。
大人になってからは父の意に沿わないこともいろいろしてきたと思いますが、私をかわいがっていたように孫娘をそれは可愛がってくれました。ただ母が他界してからは本当に怒りっぽくなって、私と父の間に信頼関係があったのか分かりません。父が幸せだったのかも。
今となってはただただ父を見守るしかできません。
鹿児島との遠距離介護は気がかりなことも多く大変だったのではないですか?直接携わらなくてもキーパーソンというのは本当に大変ですよ。
母の時にヘルパーさんを週一くらいで頼んでいましたが、やはり相性があってお気に入りのヘルパーさんがいましたよ。
亡くなった時もその方が介護ステーションを代表してお線香をあげに来てくれました。
何にせよ、両親の事を思うと自分の老後のことを考えてしまいます。患うことなく静かに終わりたいと思いますが、それは誰でも願うことで、そうならない事も多いと思うと、やれやれと思います。

Brad Mehldau、そのアルバムは良いでしょう?
ピアノマンだなぁと思います。


  • 2012-07-09 00:52
  • takako
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[C64]

人と人の関係というのは相対的なもので,変わって行くと思ってます.高校生の頃は全く違った考えで,友だちのもとへ「時空を超えて行く」なんて考えていた.今思うと,ほんの2年ぐらいの付き合いなのに….

義父は蒸気機関車の機関士から始まり,焼酎工場や名古屋大阪への出稼ぎ,地元ではヤクルト工場とか本の配送(バイク)とか墓守とか様々な仕事をして家族を支えていました.
義姉は中卒で鹿児島から大阪に出ました.昭和20年代の終わりの生まれで,そのすぐしたの私の夫とも,田舎では戦後の食糧難もあり貧しい子ども時代を過ごしています.義母が亡くなり,義父の体調が悪くなってきてから,義姉は,何度も鹿児島に足を運び支えました.父親というのは娘に一番本音で甘えられるのかもしれないですね.それなのに義父は彼女が傷つくようなことも言ったりしたようです.
  • 2012-07-11 21:03
  • chaka
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[C65]

確かに血がつながっている甘えというのはあるかもしれないですね。
かく言う私も晩年首から下はほとんど動かせない母に向かって決して他人には言わないことを言ったりしました。いなくなられて初めて、そんなことを言ったりできたのは母だけだったんだ、と気がついて、本当に寂しい気持ちになりました。
父とは喧嘩でもいいから、もう一度会話したいです。
  • 2012-07-11 21:49
  • takako
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[C66]

私も家族には色々乱暴なこと言っちゃったりしてますが,許してくれているのでしょうね.
ところで,ラベンダーの香りのお風呂に入った夜は,印象的な夢を見ることがあるのです.亡くなった父が出てきたり….不思議.自分の入院中も,香りに癒されました.
  • 2012-07-12 06:26
  • chaka
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[C67]

ラベンダーの香りで、なんていったらまるで’時をかける少女’みたいですね。
私は夢はあまり見ないのですが、入浴剤の何種類かの詰め合わせの時は、ラベンダーは一番落ち着く気がします。冬の寒い時などは湯船の中で眠ってしまいそうになって、はっと気がつくということが多いです。気持いいのですよね。危ないけど。
  • 2012-07-12 10:00
  • takako
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[C68]

夢を見ないのでなくて,見たすぐ後に起きていないだけかも.私もこのごろ夢の記憶がないです.そういうことからしても,ラベンダーの香りは睡眠に何か影響を与えるのかもしれないですね.
  • 2012-07-12 17:28
  • chaka
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[C69]

夢の記憶ですか。。。。
明日は久しぶりにラベンダーのお風呂をしてみましょうかね。
  • 2012-07-12 19:01
  • takako
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やがて来る時

父が酷い脳梗塞で倒れてからもうすぐ丸4年経とうとしています。
たまたま運ばれた病院に、今思えば大変腕の良い脳外科の医師が当直で居てくれたために、6時間に及ぶ大手術をしてもらえて、一命をとりとめました。
術後の説明では、こういう手術の後は脳が腫れてきて、頭蓋骨を外さなくてはならないくらいになる可能性があって、そうなった時のことを覚悟しておくこと、うまくそうならずにすんでも、左脳の損傷が激しいから言葉も出ないし、右半身は完全マヒ、上手く行っても認知症レベル、それ以上に戻れることがあったら、奇跡ですよと言うことでした。覚悟して、もしもの時のために父の兄弟〜伯父、叔父、叔母に連絡を入れて、混乱の中で2週間を過ごしましたが、父は生き長らえました。それどころか、病院のリハビリがとても良かったためか、目に見えて回復していくように思えました。この頃はたった一人の孫娘の顔を見ると名前を呼んで涙ぐんだり、言語のリハビリではちゃんと発語の練習もできていたし、食事はとろみをつけた柔らかいものを口から食べることができていました。自分の左手で。

お医者さんというのは最悪の事を言っておくものなんだな、と思ったものです。

しかし、医療の病院というのは入院できる期限があって、あと2ヶ月あまりという頃にとても感じの良い相談員の方が、次に移れそうな、病院ではなく老人保健施設のはなしをたくさん持ってくるようになりました。こちらとしては、ともかく大変な状態の父が行く場所がなくなったら困るというおもいから、同じ市内にある老健の一つに移ることに決めました。自宅からはとても遠いのにも関わらず。
私も父が倒れたことで父自身の色々な処理しなければいけない事柄を山ほど抱えて、なおかつ仕事にも行っていたので必死でした。

老健に最初連れて行って、じゃあとりあえず帰るからね、と言った私のコートのポケットを父が左手で必死に掴んだのを忘れられません。どういうわけかとても嫌がっていました。
私がその後父の様子を見に行くたびに私自身もその場所に何とも言えない不信感を持つようになりました。いつも髭が伸びっぱなし、食事が終わって食べこぼしをシャツにつけたまま、口の周りに汚れがついたままの父をその場所に放置したまま、などの対応に大変な不満を感じなんとかしなければ、と思っているときに、自宅から自転車で30分ほどの老人保健施設から、空きが出ました入所しませんかという嬉しい知らせが入りました。
面接に行った時に半年から1年まちです、と言われていたのに、二ヶ月弱で入れたのです。
早々に、最初の老健を引き上げて、自宅近くに父を連れてきたのは言うまでもありません。
父も最初から気に入ったようで、機嫌よく入所してくれました。
実際、老人保健施設という同じカテゴリーにも関わらず、最初の老健と自宅近くの老健には雲泥の差があったと思います。スタッフの人達の連携、意欲、所内全体の空気。。

しかしそこでの生活も長く続きませんでした。
嚥下に支障があるようで、体重減少が気になります、ということで病院へ入院。
そこの医師に言われたことは、「お父さんはもう嚥下力が落ちてきています、誤嚥でもしようものなら、肺炎を起こして取り返しがつかなくなる。口から栄養をとることはもうできません、お父さんの生きる道は'胃ろう’をつくることです…」ということでした。
それしか方法がないというなら、仕方がないのかなと思い、承諾して胃ろうを造ってもらいました。
そこから後は坂道をゆっくりと転がり落ちるように、父の残された機能も徐々に失われていったようにおもいます。
現在はもう寝たきりで、身体のあちこちに管をさして生きている状態です。それでも、いくらかはっきりしている時はベッドの手すりを掴んで起き上がろうとするときもあります。もう孫の名前を呼ぶこともなく、私の話しかけにもまばたきで応じるばかりです。

最近新聞で殊更胃ろうの話題が取り上げられているように思いますが、本当に難しい。

それより何より私は、父が倒れてから現在までの父の生はなんだったのだろう、と思うと本当にいたたまれなくなります。
それでも娘としてはどんな状態でも親には居てもらいたいと思うのです。
あんなに転院ばかりさせられるシステムでなく、最初の病院でずっとケアを受けられていたら、もう少し違ったのではないか、と思うことも少なくありません。
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ここで見える状態で会話させてもらっている私としては,詳しく聞かせてくれてありがたいと思います.
鹿児島の義父が亡くなったのはひとり住む部屋でのことで,それでも数時間後にヘルパーさんに発見されることになります.それまで,遠距離介護で毎日ヘルパーさんがのぞきにくるようにしていたし週に3回デイサービスの車がお迎えに来る.デイサービスに行けば食事や入浴などもできるけど,行った先にいるのはおばあさんが中心で,そこでやるようなお遊びやおつきあいは義父の望むことではなかったのです.で,お盆に行った際には,目に涙を浮かべて,行きたくないのですって言いました.ヘルパーさんも色々で,義父に話しかけない人もいたりする.そんな中に,ひとりでボランティアで動いている女性がいて,その方は根気よく話しにきてくれたりしました.その方には色々わがまま言ったり語り合えたので,良かったです.
自分に父がなく,義父との限られたわずかな交流しかないので,takakoさんとお父さんの間にある信頼関係にはうらやましい思いです.自分にはそういう自然な思いやりがないんじゃないかって,宇宙人みたいな気がしちゃうんですよ.
ところで,ブラッド・メルドーのThe Art Of The Trio, Vol. 1と3を買いました.美しいです.
  • 2012-07-08 21:13
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[C63]

あまりブログなどに適さない話題なのかなと思いながらも書きました。自分のブログですし。
父が倒れてから一年くらいは細かく記録をつけていましたが、それ以降はカレンダーのメモ書きくらいです。どこかにおおまかな顛末を記しておこうと思いました。
 
父とは子供の頃はとても仲良しで私にとって世界で一番優しい人でした。年頃になった頃は父も仕事が忙しかったし、私に距離を感じていたようだし、私も思春期で父をどこか避けるようになっていました。
大人になってからは父の意に沿わないこともいろいろしてきたと思いますが、私をかわいがっていたように孫娘をそれは可愛がってくれました。ただ母が他界してからは本当に怒りっぽくなって、私と父の間に信頼関係があったのか分かりません。父が幸せだったのかも。
今となってはただただ父を見守るしかできません。
鹿児島との遠距離介護は気がかりなことも多く大変だったのではないですか?直接携わらなくてもキーパーソンというのは本当に大変ですよ。
母の時にヘルパーさんを週一くらいで頼んでいましたが、やはり相性があってお気に入りのヘルパーさんがいましたよ。
亡くなった時もその方が介護ステーションを代表してお線香をあげに来てくれました。
何にせよ、両親の事を思うと自分の老後のことを考えてしまいます。患うことなく静かに終わりたいと思いますが、それは誰でも願うことで、そうならない事も多いと思うと、やれやれと思います。

Brad Mehldau、そのアルバムは良いでしょう?
ピアノマンだなぁと思います。


  • 2012-07-09 00:52
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人と人の関係というのは相対的なもので,変わって行くと思ってます.高校生の頃は全く違った考えで,友だちのもとへ「時空を超えて行く」なんて考えていた.今思うと,ほんの2年ぐらいの付き合いなのに….

義父は蒸気機関車の機関士から始まり,焼酎工場や名古屋大阪への出稼ぎ,地元ではヤクルト工場とか本の配送(バイク)とか墓守とか様々な仕事をして家族を支えていました.
義姉は中卒で鹿児島から大阪に出ました.昭和20年代の終わりの生まれで,そのすぐしたの私の夫とも,田舎では戦後の食糧難もあり貧しい子ども時代を過ごしています.義母が亡くなり,義父の体調が悪くなってきてから,義姉は,何度も鹿児島に足を運び支えました.父親というのは娘に一番本音で甘えられるのかもしれないですね.それなのに義父は彼女が傷つくようなことも言ったりしたようです.
  • 2012-07-11 21:03
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[C65]

確かに血がつながっている甘えというのはあるかもしれないですね。
かく言う私も晩年首から下はほとんど動かせない母に向かって決して他人には言わないことを言ったりしました。いなくなられて初めて、そんなことを言ったりできたのは母だけだったんだ、と気がついて、本当に寂しい気持ちになりました。
父とは喧嘩でもいいから、もう一度会話したいです。
  • 2012-07-11 21:49
  • takako
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[C66]

私も家族には色々乱暴なこと言っちゃったりしてますが,許してくれているのでしょうね.
ところで,ラベンダーの香りのお風呂に入った夜は,印象的な夢を見ることがあるのです.亡くなった父が出てきたり….不思議.自分の入院中も,香りに癒されました.
  • 2012-07-12 06:26
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ラベンダーの香りで、なんていったらまるで’時をかける少女’みたいですね。
私は夢はあまり見ないのですが、入浴剤の何種類かの詰め合わせの時は、ラベンダーは一番落ち着く気がします。冬の寒い時などは湯船の中で眠ってしまいそうになって、はっと気がつくということが多いです。気持いいのですよね。危ないけど。
  • 2012-07-12 10:00
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[C68]

夢を見ないのでなくて,見たすぐ後に起きていないだけかも.私もこのごろ夢の記憶がないです.そういうことからしても,ラベンダーの香りは睡眠に何か影響を与えるのかもしれないですね.
  • 2012-07-12 17:28
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夢の記憶ですか。。。。
明日は久しぶりにラベンダーのお風呂をしてみましょうかね。
  • 2012-07-12 19:01
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